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【永遠番長】横浜DeNAベイスターズ 三浦大輔選手 引退 と 僕の想い。

どもー   アライです。

ようやく気持ちが落ち着いたので書きたいと思います。

横浜DeNAベイスターズ
ハマの番長   三浦大輔 選手



昨日、引退試合にて現役最後の登板でした。

最後のマウンドへ登る番長…。

しかし、序盤から打たれます。。

初回、いきなり点を取られビハインドを…

しかし、ベイスターズも追撃をする。

チーム、ファン、 全ての人たちが 番長 三浦大輔へどうにか勝ち星をつけ 最後の花道を作るべく 後押しをする…

 そんな空気が横浜スタジアムを包んでいました。

しかし、また被弾…

ホームランを浴びさらに3点のビハインドを背負います…

ここでまたもやベイスターズがさらに追撃。

逆転に成功します。

ハマスタ全体が揺れました。
本当に揺れてました。

3万人のキャパのハマスタが大きく蠢めく…30年もハマスタへ通い続けていながらあんな雰囲気は始めてでした…。

どうにか番長に勝ち星を。


番長、あとは全力で投げ抜いてくれ!


誰もがそう願っていました。

しかし、番長は打たれました…。

結果、ボコボコに打たれました。

引退試合でここまで打たれ、点を取られるピッチャーを僕は記憶にありません。

それは無様かもしれない…

カッコ悪いかもしれない…

けれど、けれど…

どれだけ打ちのめされ、ボロボロに点を取られてもハマの番長 三浦大輔は全力で投げ続けました…。

誰もが代打交代を予感した6回裏の打席…

番長は泣いてました…

それでもフルスイングする番長に僕らは本当の男の姿を見ました…。

そして、7回のマウンドへ…

1人目のバッター  雄平選手から三振を奪い降板…。

6回1/3 球数 119球 12被安打 10失点

これが、ハマの番長 三浦大輔の ラストマウンドでした…。

結果、チームも逆転することは出来ず 敗れ…番長 三浦大輔は 敗戦投手となりました。

日本新記録となる  24年連続勝利 は 幻となりました。

しかし、あんなに打たれまくりボロボロの姿でもマウンドに立ち、バッターに向かい全力投球する 番長 三浦大輔 は 本当に本当にカッコ良かったです。

今まで幾度となく見てきた 番長の登板試合のどれよりもカッコ良かった…。

諦めない、最後まで戦うマウンドは真の男の生き様を見ました。

横浜大洋ホエールズから始まり、横浜ベイスターズ、そして横浜DeNAベイスターズ…

僕のファン歴は30年になりました。

現役25年、あなたの背番号をずっと見てきました。




1998年 あの時横浜ベイスターズは日本一になりました。

ファンもたくさん横浜スタジアムに駆けつけてました。

しかし、その後チームは低迷…

暗黒期と呼ばれるほど、チーム成績は下降。万年Bクラスとなり最下位が定位置となるほどでした。

多くのファンが横浜スタジアムから去っていきました。

2008年  三浦大輔 FA宣言。

阪神への移籍が確実視されながらも、

番長は横浜残留を決断。

本当に本当に嬉しかった。

「三浦大輔の原点は何かと考えたら、強いチームを倒して勝つこと。強いチームに勝って優勝したい」

そう言って横浜に残ってくれた。

そして、ファンの声を心から受け止めてくれた。

僕は番長が本当に大好きになりました。

その時から僕のベイスターズのユニホームには全て背番号18が刻まれてます。

正直、選手のサインにはあまり興味を持たない僕が

このサインだけは大事にしてます。

それほどに僕の中で、ハマの番長 三浦大輔はヒーローでした。

引退試合、引退セレモニーもずっと涙が止まりませんでした。

あんなにも人前で号泣することは無いと思えるくらい泣きました。

横浜を愛し、横浜が愛した ハマの番長は 現役のユニホームを脱ぎます。

いま、横浜スタジアムにはチケットが取れなくなるほどたくさんのファンが溢れ熱い声援を送ってます。

チームも悲願のCS進出。

横浜DeNAベイスターズは生まれ変わり、本当に素敵なチームになりました…。

セレモニーの最後に番長は言ってくれました。

「三浦大輔は、ずっと 横浜です!
ヨロシク!」

僕たちはずっと横浜で待ってます。

再び三浦大輔が、横浜ブルーのユニホームを身につけ ベイスターズを指揮するのを…。

背番号18は永遠です。


ハマの番長は『永遠番長』です。

ハマの番長 三浦大輔選手、本当に25年間お疲れ様でした。

そして、ありがとうございました…☆

I☆YOKOHAMA
18☆YOKOHAMA
I☆D.MIURA 18

終。



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